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池干しが必要な「ミワケ湖」

1.日本本土の川エビ・沼エビは種類も少ないですし、
2.特有の色彩や模様や体形の違いをきちんと見れば、
3.顕微鏡で額角を見る必要などなく、種類を見分けるのは、なんら難しいものではありません。

しかし、普通の人のエビへの認識は、
1.種類がすごく多いし、
2.種類を見分けるのに、模様や色彩は使っちゃいけないし、
3.額角でしか見分けられないので、ものすごくむずかしい。

というものです。

湖底に湧いている水は澄んでいるのですが、勘違いから上が全部腐ったヘドロです。
下から読んでいくと、この泥沼と化した湖の構造が解かり易いかもしれません。

市民レベルでの縛り合い
・「ムリムリ、見分けるだけ無駄」
・「色とか模様とかで見分けているのは馬鹿」
・「額角でしか見分けられないのだから、種類なんて素人では分からないよ」
・「透明で、腰が曲がっていて、眼が飛び出していたらスジエビ」
種類間違いが後を絶たない雑誌・飼育書を元にエビを語り、
種類特有の模様がくっきりなのに、無意識に全く参考にしない。
(すでに模様の違いに完全に目が行かなくなっている)

一般庶民に「コンナン教」が発生
「淡水エビ」と聞くと、反射的に「コンナン」と答える困難教の出現。
とにかく「コンナン、コンナン」と言いたい。
・種類が多いから困難、亜種があるから困難。
・どれも似ているから困難
・模様や色は使えないから困難
・顕微鏡で額角を見ないと分からないから困難
・透明だから困難
互いに困難教の教義を教え合ってしまい、
実物のエビを見ない習慣になってしまう。
(この段階に落ちてしまった情報は、もう救い出す事は不可能かもしれません。
学芸員や、動物園の職員、自然観察の指導者、学校の理科の先生まで、
全員が困難教と思ってよいのが実体ですから、それこそコンナンです。
当然、教えられた初心者の方々や子供等も困難教)

生時の全身写真を見ても全く種類が分からない先生(?)が大量に出現
エビのごく普通の全身写真の種類が分からない「自称先生」が暗躍。
一般向け雑誌や飼育書等に、写真と種名が一致しない情報が大量に広がった。
最も酷い例だと、
ヌマエビとヌカエビは色斑での識別は不可能と断定(明らかに可能な写真を掲載しつつ)し、
その上で、額角の折れたヌカエビの写真を示しながら、トゲナシヌマエビだと説明し、
ヌマエビとトゲナシヌマエビは模様がこのように似ているので、
額角を確認する外は無いと説いてあるpdfが見られる。
(どこまで切り戻せば青い枝が出て来るのかと考えると御手上げな状態ですが、
誰にでも参考に出来る形で普通に置いてある情報です)

※ここで大活躍するのが「酷似・困難・不可能」という隠れ蓑。
標本や論文を使った同定が「酷似・困難・不可能」なだけであって、
生きたエビには適用できないのですが、種類を間違えても安心なつもりで使って居ます。
つまり、全然保険になっていない、丸裸な間違いでしかありません。
他の生き物の水準に比較して大変に恥ずかしい姿です。

三本柱の確立
「額角至上主義」、「色彩や模様への極端な蔑視」、そして「酷似・困難・不可能」という保険が定着。
根拠の無い断定口調の「因習」が確立される(博物館という権威が乗るので厄介)。
・現実の難易度に対して極端に長い尾鰭がついた「困難・不可能・酷似」が強調される。
・額角が神であり、色模様は下賎であるという二分意識の定着。
・さも、額角さえ見れば種類は判別でき、模様を見たら間違えるかのような意識付けがなされる。
・「酷似・困難・不可能」は、万が一間違えた場合の保険に便利なので、履き違えたまま生き続ける。
エビに対する(歪んだ)基本姿勢が、ここに出来上がる。
専門家でもなく、生きたエビは見分けられないのに、ふんぞり返っている人達が出現。
「模様は使うな!額角だけだ!」と、一般初心者に教え始めます。
(教えると言うより、興味を奪って、難しさをすり込んで遠ざけているだけ)

「使えない」の意味を勘違いされた「色斑」に対する敵視や蔑視が激しくなる
分類学上の標本や論文の話が、生きたエビに適用されて行きます。
エビの体色という自然現象を、全て「使えない理由」につなげて行くようになります。
・色彩や模様は個体差があるから使えない。
・模様には地域差があるから使えない。
・雌雄差があるから使えない。
さらに勝手に発展させて、
・使えないばかりか、色彩や模様を使って見分けると種類を間違えるとまで、デマを作り上げる。
・色彩や模様では識別は不可能であると断定する。
こうして、徹底的に色柄の存在を叩き潰してしまいます。
例としては、「ヌマエビとヌカエビは色柄では識別不可能」が有名。
(実際は逆に額角偏重が原因。額角がそっくりな別種だったという最悪な結果)

極端な額角偏重の出現(標本瓶に囲まれているだけの博物館系に多い印象)
エビの専門家ではない人達にとって、
額角の違いは比較的分かり易かった為、線画のエビの横顔を並べた資料が便利に使われた。
ここから極端に額角に固執する風習が生まれたと思われる。
・エビの種類の違いとは、額角の形の違いの事であるという意識の発生。
・額角こそがエビであり、エビ本体は無用の長物という意識の発生。
・テナガエビ科とヌマエビ科も、額角部分のみを一律に並べはじめる。
(全身の毛まで比較する分類学とは程遠いのに、同じく顕微鏡は使い、額角のみを凝視する意味不明さ)

第三者が、日本の生きた淡水エビ同士を見分ける手法と勘違い
・日本の淡水エビは種類がとても多くて、
・色彩や模様は種類の識別の参考にしてはいけないし、使ってはならない。
・顕微鏡で額角の形状を比較しなければならない。
「同定」と「種類の見分け」を混同し、分類学上の単純な事実を「手法」だと勘違い。

世界中のエビを相手にする研究者の「ぼやき」に近い話
・世界に淡水エビの種類は多く、
・褪色した標本や、色柄の記載の無い論文等での特徴は、どれも酷似しており、
・顕微鏡で、体の各部品(額角もその一部)の長さや、生えた毛・棘などを詳細に比較する作業となる為、
・新種の可能性も考えて正体を明らかにする「同定」という作業は極めて難しい作業である。

エビの分類研究機関での事実(「色柄は使えない」の意味は単純明解)
標本瓶の中で長期間アルコールに浸かって真っ白に褪色した標本や、
色柄についての記載のない論文を元に行なう「同定」では、
「種類の識別に色彩や模様は参考にならないし、使えない」

湖底に沈んでいるのは、この極めて科学的な事実に過ぎません。
アルコールに浸かっていると色素が抜けます。
標本のエビの死骸は古くなるほど真っ白。
模様を見比べようと思っても、無いのですから使えません。
スケッチくらいは欲しかった所ですが、そういう習慣が無いので、
論文にも色柄の情報はありませんから参考に出来ません。ただそれだけ。

底から湧き出る水に濁りはありません。
一度、栓を抜いて、全部流してしまうのが簡単。
表層から水底まで、茶色いヘドロ部分は全部流して捨てるしかないでしょうね^^。
岸や壁もきれいに磨いて、よく拭いてから、栓を塞げば、きれいな水が溜まると思います。

 

2010/12/10 


2010/12/10 更新


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