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淡水エビの種類識別情報に見られる『風評被害』と『勘違いの体系化』

淡水エビは、全体の形、色模様で総合的に判断すれば、別段、苦もなく見分けられる生き物ですが、
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模様は使えない
色彩は参考にならない
額角や棘を顕微鏡で見なければ不可能
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という、標本の世界の事情が勘違いされて、生きたエビにまで適用されている為に、
実体顕微鏡などを持たない一般大衆は、残された「透明度」「腰の曲がり具合」で見るため、
およそトンチンカンな識別結果が続出するという状態になっています。

生体と死体では事情が違うので、安易に混ぜたら害が出て、正常な識別眼を失う事になります。
生きたエビには考慮する必要のない『標本の白化・褪色』で情報の上塗りをしてしまうから、
『国民総エビ認知症』になるわけです。

生体を見分ける事と、死体を分類する同定を混同したところから生まれた『風評被害』。
日本の淡水エビが「難しい」とされてしまっているのは、
同定と見分けを混同したところから生まれた「でっちあげ」や「いちゃもん」「なんくせ」が元です。

 

一般の識別眼を破壊する、淡水エビの二大迷信

1.ヌマエビとヌカエビは色斑では判別不可能
⇒真実は逆。額角が不可能で、色斑が正解でした。
分類学(エビの死体学)の事情に過ぎない「模様は使えない」を、生きたエビにまで勘違いさせて、
真実とは逆の識別方法の規制を一般に広めてしまった根源でもある大間違いと思います。
ヌカエビ1種類の額角の個体差・地域差を、額角の棘の位置だけでヌマエビとヌカエビとして分け、
「それ見たことか!額角は違うのに模様は同じ。模様が使えないことは明らかじゃ!」
と、額角教の心の拠り所となっていた訳ですが、遺伝子比較で崩壊。
ヌカエビという種類は額角上の棘の増減が多い種類だっただけでした。
2007年にヌカエビとヌマエビは別種となったようです。
ヌマエビ大卵型とされていた西日本のヌカエビは、元々、普通にヌカエビの色斑でした。
『色斑』と『額角』は対立軸ではなく、種類の同一性の構成要素です。
それを「額角が是で、色斑は否」という、およそ根拠のない一方的な敵対関係を作り、
額角偏重・額角崇拝という域にまで奉って、色や模様を不当に弾圧させるという風潮を、
一般大衆の意識に植え込んだ罪というのは大きい物ではないかと感じます。
淡水エビの情報には種類の一貫性が低いのが常で、
小さな写真では極端に混同率が上がるのが大問題です。
生時の色班や特有の姿勢の比較研究を怠って、種類の一貫した情報蓄積をしていないのが原因です。
本来必要のない混乱を招いて、色班と形体を分断するという、呆れて卒倒するような事例です。

2.ヤマトヌマエビのみが唯一、色斑で区別できる
⇒「淡水エビの種類の識別に色斑は使えない!」と言った舌の根も乾かないうちに、
ヤマトヌマエビだけは使えて、雌雄の区別すら容易だと説かれるのが通常です。
大前提を弱める例外を他者に認めさせるには、一種のみだという相当な根拠が必要ですが、根拠ゼロ。
「他の種類は小さいし、あまりよく比較研究していない」
を謙虚さのない言い方に換えただけである事が普通です。
ヤマトヌマエビの模様を見て良いか悪いかは、読者が勘違いに気が付くかどうかの一つの山で、
「なんでヤマトヌマエビだけが使えるのだろう」という疑問(根問い)が頭に発生すれば、
無意味な縛りである事、情報発信者が同定と見分けを混同している事に気付ける部分です。
情報発信者も自己矛盾(認知的不協和)に気付けば一気に氷解するのですが、
気付けないと意固地になって語気を強め、
額角偏重や、他種の模様への敵意が高まるように思います。
こうなると事態は悪化の一途を辿り、一種のみを見分けられるとする事によって、
ヤマトヌマエビ以外のエビの模様は、殊更に使えないのだという意識を植え付けて来ます。
エビの見方の根底を破壊する悪影響と表裏一体なのですが、
実に気軽に語られる事が通例です。(自虐である事にすら気付いていないので、掛ける言葉がない)

ミナミヌマエビの標本
http://www.pref.ehime.jp/030kenminkankyou/080shizenhogo/00004541040311/detail/07_07_003520_6.html
白化褪色した標本に「色彩や模様は使えない」のは誰が見ても当たり前です。
これを勘違いして、生きたエビの色彩まで引っ張り出して来て、
無理やり使えない部分を粗探しして、強引にこじつけて、
「こんなに模様は使えない。ああ、やっぱり額角だ」と言いたいだけというのが、よく見られる誤った例です。
和洋折衷で、今までにない新たな美味しさを創り出すのとは全く逆で、
正基準標本との照合である「同定」と、他種との違いを見付ける「見分け」を混合して、
わざわざ今までに無かった「新しい難しさ」を作っている訳です。
総じて難しいのであれば、今以上に難しくしないように慎重に事を運ぶのが良識。
新しい難しさを作って混乱を広めたり、根拠のない難易度を高める必要はないはずです。
そこに見えるのは、額角への偏重を強化し、その差を広げたいという意図のみです。
(自虐なので、その分、識別眼を損なっているのが内容に看て取れるだけです)

『同定』と『見分け』を混同した、
日本の淡水エビに対する典型的な勘違いが凝縮された、
生物多様性センター称賛、中央博物館監修のpdfは、
Web上に当たり前のように存在しますから、ぜひ見ておくのが御勧めです。
(「青鬼」のような役割として有効です。「勘違いの標本」にすべき出来です)
「淡水エビ 見分け pdf」あたりで検索すれば簡単に見ることが出来ます。
日本では、この「はしか」のようなものは避け様がないでしょう。
全員罹っている、当然、自分も罹っている、と判断しておくのが無難です。
これは過去と現在だけが異常だったという事ではなく、
未来にわたっても入門者が次々と罹り続けるものと思っておくしかありません。
このベースの上に乗って淡水エビは語られ続けて行く。
この異常な現象は“常識”なのだと思って接していくのが大事です。

危惧されるのは、この同定と見分けを混同した勘違いが体系化されてしまっている可能性。
妙な箱物や団体が増えるたびに、毎度毎度、便利に使われる可能性がある事です。
環境をテーマにしたような施設とかが増えるたびに、
エビのトンチンカン教育が浸透させられて行く可能性は“常識”と思っているしかありません。
自然とのふれあいとか共生、多様性を謳いながら、
淡水エビをどんどん誤解させ、純粋な識別眼を奪って、
興味を失わせる方向に進むであろう機会や施設・団体は増えて行く。
そう思っているしかありません。

勘違い起源の『風評』や『因習』が、淡水エビの常識として『体系化』しているのが、
「淡水エビ 見分け pdf」あたりで検索するとすぐ見る事が出来る。
これが日本の淡水エビ情報の“普通”です。

 

2011/04/03 


2011/04/03 更新


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